オモタン~思いやり探究~

思いやりの考察、体験談、エピソードなどを公開

初心忘れるべからず

お久しぶりです。

4月に入ってからは色々あって新しい職場で働いています。

 

同じ境遇の方も沢山いらっしゃると思うので、新しい職場や環境になってから何を気をつければいいかをまとめたいと思いました。

 

■会社全体対して

会社に就くとその会社独自の色みたいなものがあります。

ある会社は滅私奉公みたいな所もあれば、ある会社は働いている人たちにあまり負担がかからないように配慮している会社もあります。

 

この会社の色が果たして自分の色にマッチしているのかは十分検討材料になると思います。

 

そして、働きはじめだからこそ見えること、わかる事もちゃんと覚えておいた方がいいと思います。

何かおかしな所があったとしてもあまり問題視せず、あたり前のように働いている雰囲気には注意した方が良いと思います。

あとは集団真理が働いて、盲点が多くなっているような所は気をつけないといけないかもしれません。

 

例えば、説明をする時も色々ごまかしていたり、嘘がはびこっている等

 

会社内部としては通用するかもしれませんが、社会として情報が漏れてしまったときに

一気に社会的信用失って、暴落する可能性があります。

そうなると会社の存続としてもダメージがでかく、発展性はございません。

 

■仕事に対して

仕事は色んな方法ややり方があると思いますが、最初は教えて貰った事をちゃんと聞いて、それ通りにできるようになる事を目標とします。

そうする事で教えて貰っている人に対しての信用を積み上げるとともに、会社の信用も積み上げる結果になるからです。

ある程度の信用が確保できるようになったなら「この方法の方が効率的だと思いますが、やって大丈夫でしょうか?」とちゃんと確認を取ります。

自己判断でやってしまうと、ミスした時に「なんで相談してくれなかったの?」と責められてしまいます。

また、自己判断であれこれやってしまうと上司や周りが把握出来てないので、結果が良かったとしてもブラックボックスのような中身が見えない部分を知ったときに、「何これ?」と思われ信用が揺らぐ可能性が出てきます。

 

■同僚に対して

できるだけ、素直に思ったことを共有しておきたいですね。

それがもしかしたら、今後すごく大切な気付きとなる可能性があります。

会社に染まっていない人で客観的に言える意見ほど貴重かなと思います。

 

■先輩に対して

基本的に率先して挨拶をする。言われたことに対して否定的に返さない。

誠実に答えて信用を積み上げる。後々は滅茶苦茶な事を言われたときにも華麗にスルーできたり、やんわりと納得させれられる技術も必要となってきる。

※例えば、建築の捏造問題とかもそうですね。コストにあまりにも重点起きすぎて、耐震強度が低くなってしまうパターンとか・・・こういう場合はいくつか説得できる材料をいくつか揃えておく必要があります。

 

<実力社会の会社のパターン>

報告連絡相談をあまりせず結果が良ければ全て良しみたいな会社も存在します。

例えば、あまり会社の言うことを聞かずいつも街でブラブラしていてるし、遅刻もするけど、仕事がものすごく出来る人がいて、成績もトップを叩き出されている為、普段の業務態度とかは許されている人もいるそうです。

これも一つの会社の色だと思いますが、会社が許しても周りが許してくれるかどうかで変わってきそうですよね。

 

■まとめ

基本的には仕事自体は組織でやっている以上は認識を共有しながらやる必要があります。わからない事をそのままにしてもNGですし、自分だけがレベルの高い仕事をしていても周りが理解できていなかったらあまり評価はされません。

もし、レベルの高い仕事をしたいなら周りの理解と説明や交渉力も必要となってくると思っています。

後、仕事をしていく内に「なんで〇〇なんだろう」という疑問が沢山出てきると思うのでそこは曖昧にせず、一つ一つ調べたり、質問したりして納得を繰り返すと仕事の理解度も速くなるのかなと思いました。

 

ストレス社会、こうなればきっとよくなる!

こんにちは!まだまだ寒い日が続きますね!

今回はストレス社会について一通りの現状をまとめて
「こうなればきっとよくなる!」という展望を書いていきます。


①大変な人間関係
皆さんは日々どのような事に対してストレスを抱えていますか?
私自身は仕事上での付き合いや上司の対応とかストレスを抱えている事が多かったです。
その中でも自分を押し込めて、上手くやっていってました。

大人ですからね。
でも、それが自分のストレスになって行きました。

 

また、私の周りでうつ病になった人のほとんどが人間関係でした。

その気持ちはすごく分かります。人間関係は本当大変ですよね。


なんでこんなに人間関係が大変なんでしょうね?

お互い分かり合おうとしてるのはわかりますけど、
価値観が多様すぎて脳がそれに対応し切れていないのかもしれません。


1人の人と分かり合うのでも大変なのにこれが5人、10人となればもう大変ですよね。

ほんの昔はSNSが流行りましたけど、今はLINEの時代ですね。
離れた所でも気軽にチャットできるというのはすごく便利ですよね。

一方、既読スルーに対するストレスは多くなりますよね。


<今後の展望>
「広く浅く」の付き合い方から「狭く深く」の付き合いに変わって行くと予想します。
理由としては精神的に疲れた人の帰る先は「親元」が多いからです。


「広く浅く」は宙に浮く風船みたいですね。
身は軽くて自由ですが、なかなか地に足を付けないから、自分の居場所が見つからない印象です。


一方で、「狭く深く」は大地に根を張った木の様です。
木には色んな虫や動物が住んでいますが、食物連鎖の中バランスを保って
深くて長い付き合いをして行きます。

 

少し話は変わりますが・・
昔の人って村をすごく大切にしていたんですよね。
私のひいおばあちゃんは小さな村に住んでいますが、
村の中で子供が生まれたら村の中でニュースになって皆で喜んでますし、
長生きしたらそれもニュースになって皆で喜びます。

そういった繋がりが都会では希薄だからこそ、
そういった新しい繋がりが生まれて行けば、その出来上がったコミュニティも自然と大切に思えますし、
そういった傾向になったら良いかなと思いました。

今や町の中で平然とポイ捨てをしてる人がいますが、これもコミュニティが希薄になった弊害なんだろうなぁと思います。


②心の闇が見えるネット社会
インターネットをしていると人間の本性を垣間見る事が出来ます。


今まで社会の中で言えなかった事が「匿名」という仮面をした状態で自由に発言する事ができるというものです。
それによって、色んな社会問題が浮き彫りになってきました。

いわゆる「裏話」ですよね。

この「裏話」もどこかだどこまで信じていいのか分からなくて、
事実無根の炎上もあったという話も聞いた事があります。

やり方も結構酷いのが多いですよね。

映像では先生が生徒を殴っている様子がネットで流れて、先生が悪いという風潮を作ってました。

その真相は、実は先生が生徒を殴る背景には生徒の執拗な挑発があったっていう

話です。

いわゆる先生は生徒にハメられた訳です。

こうなってしまうとネットの情報って全てを信用するのは難しいですよね。

<今後の展望>
今は昔ほどネット社会も自由さはなくなりつつあるなと感じます。
ネット広告の見直しや著作権有のアップロードの法的処置、
誹謗中傷やテロ予告の対策は10年前に比べてちゃんとなってきたなと思いました。

最近だとyoutubeで過激な映像ダメっていうルールがやっとできた程です。

昔のネットは本当酷かったですよね。
「楽しい動画かな~」と思って見てみたら最後に怖い写真と叫び声が「ギャー」と来るわ、
クリックしたら目をそらしたくなるような死体画像が出た事もありましたよね。

これからはそういった見たくない動画や画像がどんどん減っていくのかなと思いました。

AIパトールなんてものも増えたりするのかも知れません。

出来れば今だ続く迷惑メールの検挙もやって欲しいですよね。
そうなるとメールの仕組み自体変えないといけないのかな?


③競争社会の激化
企業での競争が多くなって、「より安く」「より美味しく」「より高品質」が多くなって来ましたね。
お客さん側としては嬉しいですが、従業員としてはすごく大変だろうなと思います。

本当にお疲れ様ですと言いたいです。

個人的にはより高め合うのは素晴らしい事だと思いますが、そこの線引きが結構難しいですよね。
頑張りすぎれば精神的に疲れてしまいますし、逆に怠けてしまうと衰退してしまいますからね。

心身健康で気持ちよく頑張れるやり方が確立出来れば良いなと思っています。

<今後の展望>
頑張る人はちゃんと結果が残るようになったらいいな。
頑張らない人については最低限の衣食住を与えて、どうすれば頑張れるか、どの場所で活躍できそうか
ちゃんとサポートできる社会になって欲しいなと思います。

後は精神的ケアが当たり前な社会になれば良いなと思います。
実はうちの会社では困った事があれば手軽にそういった精神的な相談ができるような場所があるんですが、
皆さんの所はどうなんでしょうか?

私が学生時代にコンビニで働いていた時は精神的ケアなんてなかったです。
今はわかりませんけど。

サービス業やクレームが多い所は必須なんじゃないかなと思いますね。
健康診断みたいに最低一回は精神的な診断を取り入れてもいいんじゃないかなとさえ思っています。

誰にも気づかれない年賀メールの渾身の画像の行方は・・

皆さん、こんにちは!

お元気ですか?

更新はかなり遅れてしまいましたが、今年も地道の更新するので

今年も宜しくお願いいたします。

 

ところで・・

皆さんはまだ年賀状とかされてますか?

もしくは年賀メールの方でしょうか?

 

最近私はどちらかというと年賀メールでした。

年賀メールの良いところは気軽に遅れるし、

年賀ハガキもわざわざ買わなくても良いところですよね。

 

年賀状の楽しい所は後ろの挨拶のイラストや干支のイラストだったり

写真だったりします。

 

見るのも楽しいですし、作るのも楽しいですよね。

年賀状を作るときは毎回新しい斬新なデザインを描いて送っていたと思います。

干支とか全く関係なく、仏が拝んでる絵を描いて送った事もありました。

あの時は友達と一緒に小さな公園で遊んでいて、その友達が描く仏様が凄く上手くて上手くて・・それを見て、真似て描いていたんですよね。

 

今更ながら寒い中よく描いていたなぁと思うと思います。

 

そういうデザイン欲は暫く封印をしていたんですが・・・

最近になって、ふと「今年はちょっと斬新な事をしてみるか」と思ったのです。

 

ただし、今回は残念ながら年賀メールです。

 

でもただの年賀メールではありません。

画像付きです。

 

その画像はペイントで描いた日の出なんですが、めちゃくちゃこだわりました。

こだわった事はこちらです。

 

・太陽の光を自然な発色に近づけました。

・暗い雲を描いて明暗を強調させました。

・太陽の光によって空も自然なグラデーションがかかるように調整しました。

・絵と非常にマッチした胸にグッと来る言葉を添えました。

 

ペイントで描いて「これはすごいんじゃない!」と勝手に歓喜してました。

そして当日、ほんの少しドキドキしながら年賀メールを送りました。

だいたい二人ぐらいに送りました。

ある程度仲の良い人です。

 

すると返事が返ってきました。

返ってきましたが・・・普通です。

 

もちろん画像に対して感想は一切ありません。

年賀状にしてみれば当たり前の事なんですが、年賀メールだと期待していた分ややショックでしたねー。

 

よく考えてみればわかる事なんですが、

相手の好みじゃなかったり、そんなに求めてない絵を送られると

やっぱり感想に困ってしまいますよね。

 

結構失礼なたとえになってしまいますが、

ピカソの絵を送ったら反応なくて

ゴッホの絵を送ったら「すごい!」と反応がある違いのようなものなのかなと思いました。

 

あくまでも年賀メールで描いた絵というのは自己満足で

 

思いやりという所では

少しでも喜んでもらえたら良いなという一歩引いた気持ちで、あんまり期待せずに送るとちょうどいいのかなと思いました。

 

おしまい

その理屈はおかしい

こんばんは

新シリーズを始めました。

悩める青年がカウンセラーに相談している内に

自分のリズムを狂わせられて、

明るくなっていって「悩んでる事」がどうでもよくなる話です。

※このシリーズ続くかなぁ・・・

【人物紹介】

A・・・天才カウンセラー

いつもどこ見ているのかわからない。

理屈やだが、論点はよくずれる。誰よりも人を癒す力があるがよく煽る。

B・・・悩める青年

いつも何かに悩んでいる。

色んなカウンセラーを転々としているが効果がなく、最終的にAの所に行きついた。

【その理屈はおかしい】

B「はぁ・・」

A「なに?溜息?珍しいねぇ」

B「まぁ、社会人は色々あるんだよ」

A「これだけ言っとく。溜息をしてる時は話は聞かないから。」

B「えっ、なんでよ!」

A「いや、理屈にかなった心身の健全な働きだからだよ」

B「どういう事?」

A「溜息は深い呼吸でしょ?深い呼吸して自己調整してるって事」

B「ふ~ん。じゃあどんな時に話を聞いてくれるの?」

A「眠そうな時」

B「え!その理屈はさすがにおかしい!」

A「全然おかしくない」

B「いや、おかしい!眠たいんだったら寝かせるべきじゃないの?」

A「いや、寝る前に話を聞くんだよ!」

B「なんで!?」

A「深い意識に入ってるから本心を聞きやすいんだよ」

B「いや!疲れてるんだよ!寝かせて!?」

A「いや!寝かせない!」

B「いや、寝かせてよ!(笑)」

A「ここで寝たら大事な聞くタイミング逃してしまうよ!」

B「起きてる時でいいじゃん?」

A「その人に明日が必ず来るとは限らないから!」

B「ええっ!重症前提!?」

A「君も私も明日があるって保障はどこにも無いんだよ」

B「話の流れを無視した核心を付く言葉ですね!(笑)」

A「いやー笑ってる場合じゃないよ!」

B「それはさすがに笑う」

A「話を戻そう」

B「どうぞ」

A「私ならこう聞く「しんどい事あった?」はい!答えて!」

B「えっと・・実は仕事が多くて・・・」

A「そんな仕事辞めたらいいよ」

B「えっ!でも、仕事辞めたら周りに迷惑が・・」

A「うん!仕事辞めたらいいよ!」

B「いつもの出た!」

A「だって、しんどい時に助けてくれない人の方が無責任じゃないー?」

B「最近は社内カウンセラーがあるからそっちを勧めてるんだよね」

A「そう分かりつつ、君は私の所に来てくれてるわけだ!」

B「何急に嬉しそうに(笑)」

A「ところで、悩みは解決した?」

B「いーや!全然!!(笑)」

A「じゃあ寝る前にまた電話して?」

B「もうええわ!」

 

 

さりげないやさしさに遭遇

この前すごくいい場面に遭遇しました。

山手線の駅のホームで白杖をツンツンと歩いている女性の方がいました。

非常に歩き辛そうな感じだったので、おそらく目が見えてなくて

まだ白杖も使い慣れていない感じでした。

 

私はほんの少し遠くから見守っていました。

暫くして、その女性は目的の電車を見つけたようで電車に乗ろうとしましたが、

うまく乗れず戸惑ってました。

 

すると全く赤の他人であろう女性の方が咄嗟に手を添えて、盲目の女性を上手く電車へ誘導したのでした。

 

この間だいたい2~3秒の出来事でした。

 

さりげない優しさはもちろん素晴らしいですが、

気付いてさっと手を差し伸べるまでのスピードが凄く速い事に

仰天です。

 

自分の行動に全く躊躇がないという事は

「やって当たり前」っていう精神が身についているからこそできるはず。

そういった強くて優しい精神は一日にしてならず、

毎日の積み重ねの延長上にあるものだと思うからこそ、その体現者がすごいなと思う訳です。

 

「あなたが何を考えているのかわからない」の雰囲気の話

こんにちは

さて今回は

「あなたが何を考えているのかわからない」の雰囲気の話

というテーマです。

 

よく思いやりの中に「何かを察する」っていうのがあるじゃないですか?

例えば・・・

「あっ、この人嫌がってるな」

「あっ、この人嬉しがってるな」とか

 

何を考えているかわからないけど、表情を見て

「きっとこういう気持ちなんだろうな~」って察して

 

「ごめん、さっきの嫌だった?」とか聞くパターンですね。

 

でも人間ってすべての人が素直な訳ではないから

逆に相手が気を遣って「え?全然大丈夫だったよ!」と笑顔で返されるパターンがよくあったりします。

 

これは正直言うと、無理しちゃってるからあまりよくないかなぁと思います。

 

この「ごめん、さっきの嫌だった?」も色んなパターンがあって

すごく朗らかな感じで「ごめん、さっきの嫌だった?」っていうのと、

すごく真顔で「ごめん、さっきの嫌だった?」っていうパターンがあります。

 

このうちのすごく真顔で答えてしまうと逆に気を遣わせてしまう可能性が高まる訳です。

 

要するに相手の素直に「うん、嫌だった」って言わせるにも、「言っても大丈夫だよ。へーきへーき!」って思わせる雰囲気作りってすごく大切だなぁと思ったりする訳です。

 

「あなたが何を考えているのかわからない」っていうのは一見相手がわけわかんない事を言ったり、行動したりする時に使う言葉ですが・・・

その返し結構ナンセンスというか危ういなぁと思ってしまいます。

相手によってはかなり傷つきます。

 

逆に「私があなたの考えている事をちゃんと聞けなかった」っていう言葉でも言い換えれますよね?

 

要するにベクトルが相手から私に変わってます。

 

つまり、私主体で話をする事で、自分の中で原因を見つけて解決していける事ができます。

 

これも先ほどの雰囲気作りとつながりますが表情一つで大きく変わってきます。

 

「もー!あなたって何を考えてるのかわからないわ!」って笑顔で言われたら悪く感じる所が逆に親近感が湧いてきますね。

 

一方、真顔で「私があなたの考えている事をちゃんと聞けなかった」って言われると

「あっ・・ごめんこっちこそ・・・」っていう雰囲気になりますよね。

 

結構まとまりのない話になって来ましたが、言葉遣いだけだと相手に全然伝わらなくて、この言葉でこういう雰囲気だったらきっとこういう気持ちになるんだろうなぁ~っていう想像力が結構大切なのかなってふと思いました。

 

 

思いやり訓練法

お久しぶりです。

最近、色々勉強してたりドタバタしてた事もあってかなり更新が遅れてしまいました。

 

今回は「思いやり訓練法」を紹介していきます。

 

例題その1

あなたは四人家族で男の子の赤ちゃんと女の子の赤ちゃんがいました。

今晩はその二人の赤ちゃんと家でゆっくり過ごしてました。

突然、煙臭くなって行き、たちまちこちから火が噴出してきました。

この時、ようやくあなたは火事に巻き込まれた事に気付きます。

既に二人の赤ちゃんは煙を吸ってて意識不明です。

あなたは最初二人の赤ちゃんを助ける為に、二人供担ごうとしましたが難しく、

どちらかの赤ちゃんしか担ぐ事ができませんでした。

その時あなたはどういう行動をしますか?

※火事場の馬鹿力やなんとか知恵を絞って二人担ぐ事ができたというケースは無しとします。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

思いつく限りアンサーを書いてみます。

1.男の子の赤ちゃんを担いだ

2.女の子の赤ちゃんを担いだ

3.二人供諦めて自分だけ逃げた

4.三人一緒に死ぬ事にした

 

だいたいこの4つになると思います。

それでだいたいの人は1と2で悩むと思います。

 

それで1、2を選んでもどちらかを助けられなかった事に対して

後悔しながら生きていく道を辿る可能性が高いです。

 

かと言って、4を選択するのもあまりにも悲しい結末です。

3は論外です。

 

こういうあちらが立てばこちらが立たず的な話になるとトロッコ問題を思い出しますね。

 

トロッコ問題 - Wikipedia

まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。

(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。

そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。

(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし義務論に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。

 

世の中見渡せばこういう 例題が沢山あって苦しむ事も多いですよね。

でも、何かしらの答えを出さなくてはなりません。

この時、大切な事は出した答えに対して後悔するのは簡単です。

この後、どう考えてどう行動するかが大きな分かれ道なのかなという気がしました。

 

例えば、心配停止の例もそうなのかなとふっと思い出しました。

激しい運動して突然倒れた。119番したけど、心配停止で死んでしまった。

でも、AED(心臓の血流を正しく戻す装置)さえ近くにあったら救えたよねって話がありました。

 

20年ぐらい前は、そんなにAEDが世の中に普及してなかったのですが、

今や大きなショッピングビルとか駅とか空港とか、学校とか、至るところにありますよね。

 

これはやっぱり、「よくなかったからなんとかしなきゃね」っていう働きがちゃんと世の中に認知された結果なのかなと思いました。

 

この、「よくなかったらかなんとかしなきゃね」っていうのも発信元があって、

実際そういう現場に居合わせた家族や友達だったりするのかなって思ったりします。

 

そういうのを突き詰めていくと「思いやり」を深めていく為には

こういう、一歩進んでは考えて苦しんで、一歩進んでは考えて苦しんでの繰り返しなんじゃないかなと思います。

 

それで多くの人が「なんとかしなきゃね」ってなった時にようやく、大きな一歩を踏めるという。

 

そういう意味では「思いやり」っていうのはそんなキラキラした素敵なものじゃなくて、すごくドロドロしたところからやっとみつけた一粒の光みたいなものなのかなと。

 

ですから、思いやりを本当に持つ為には色んな苦しみに向かい合って行く事が大切なんじゃないかなと。

 

まるであれですね。

 

猛暑の中、とてつもなく広い砂漠の中にポツンと存在している唯一のオアシスを探すための旅路みたいなものですね。