オモタン~思いやり探究~

思いやりの考察、体験談、エピソードなどを公開

スーパーボランティア尾畠春夫さんから学ぶ考え方①

尾畠さんは今各局のニュースで賑わせていますね!
ネット界隈や芸能界でも沢山の方から称賛されている方です。

いろいろ調べた結果、すごい情報量でまとめるだけで結構大変でした。
出来るだけわかりやすくまとめてみました


■称賛されたきっかけは?

山口県で行方不明になっていた2歳の男の子がおり、
地元の方や警察の方が3日経っても発見できていなかった。

まだ発見されてない事を尾畠さんが知って、山口まで行き、
探しに行った20分~40分後に男の子を無事発見、救出した。


■男の子を捜しに行った理由は?
「車の中で朝3時半に目が覚めた。いろいろ用意している時に、なんか胸騒ぎというか会える気がした」Abema Newsより


■男の子を探す前にどんな準備をしたの?
会えた時のことを想定して準備を行い、
「彼が一番何を望んでいるかな、2歳の子どもだから甘い物と、
怪我をしていた時に洗うための水と医薬品。3時過ぎは雨足が強かったから、
衣類が濡れているかもと思ってバスタオルの長いものを持って上がった。」

Abema Newsより

 


■発見時の心境はどうだった?
「天が道を教えてくれたのか、Yくんが呼んでくれたのか、偶然ぴったり出会ってびっくりした。
声を聞いたときは頭の中が真っ白になった」Abema Newsより


■なんでこんなに称賛されてるの?

1.ずば抜けた行動力

2日経っても男の子が見つかってない事を知り、大分県から山口県まで飛んで行った。
年齢は78歳(1940年生まれ)

2.謙虚さ

「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と、
全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきた

「対価、物品、飲食、これは絶対、頂かない。
敷居をまたいで家の中に入ることもボランティアとして失格だと思っている。
私はそれで良いと思うんですよ。人がどうしようと関係ない。尾畠春夫は自分なりのやり方がある。それで通しただけ」


軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込み、助ける相手側に迷惑をかけないのが信条。
「自己完結するのが真のボランティアだ」と言う。活動費は自分の年金(月額55,000円支給)から捻出

3.ご家族に寄り添った考え方で約束を守る
家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。
「口約束も契約。警察が"渡してください"と来たけど、"イヤです"と言った。言うたことは守る


5.心構え
「人に、世の中に、恩返ししたい」が口癖
かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』。人の命は地球より重い
※仏教の経典(出典不明)に刻石流水(こくせきりゅうすい)という言葉があります。
「受けた恩義はどんな小さくても心の石に刻み、施したことは水に流す」ことを言います。

仏教経典にあった『懸情流水 受恩刻石(情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし)』から来ている言葉だそう。


6.これからの目標

最低でも100歳までは生きたい
ボランティア活動は体が動く限り続けたい
お酒は7年と5か月 1滴も飲んでいない
東日本大震災で被災した)東北3県で
最後の仮設住宅が取り壊されたときに
昔のように浴びるようにお酒を飲みたい
その時を楽しみにしている。
ワイド!スクランブルより)

■警察から頂いたみたいだけど、感謝状はどうなった?
母親の仏壇に飾っているそうで、
「ボランティアに行く時は必ず母に手を合わせて、帰ってきたら報告する。
今回も感謝状をくれたから母の横に飾らしてもらった」答えたようです。Abema Newsより


■今までどんなボランティアをしてきたの?
由布岳の登山の整備
月に7~8回ほど40キロの材料を担いで整備、案内板の設定

2004年 新潟県中越地震にボランティアに参加し
    若手のボランティアの人たちに「師匠」と尊敬し親しまれていた。
2011年 東日本大震災大分県宮城県南三陸町を車で往復し、合計500日間支援
被災地で写真やアルバムを回収する「思い出探し隊」の隊長としても活動
当時の尾畠さんのコメント「かわいい写真を見たら涙が出てくるよ。かわいそうでな・・・
(写真が戻ることを)願っています」
「困った時はお互い様だから。明日は我が身かもしれないから」

2015年 東日本豪雨
2016年 熊本地震にて、車中泊をして作業に参加
2016年 12月 大分県佐伯市で2歳の女の子が行方不明になった時にも捜索隊に参加
2017年 7月 九州北部豪雨 水害現場の復旧作業
2018年 6月 大阪北部地震のボランティア


■趣味
登山
北アルプス、富士山
2006年4月1日に鹿児島の佐多岬から出発
2006年7月1日に北海道の宗谷岬まで制覇
距離は約3000キロ


■身近な人の評判は?
「いつも笑っていて、元気をもらうような存在。ニュースを見てびっくりした。やっぱりあの尾畠さん、すごいなと思った」
ボランティアセンターの立ち上げに関わった南三陸町社会福祉協議会のMさん(53) 
西日本豪雨のボランティアで出会ったOさん(34)
「ボランティアの経験が豊富な人。相手を思いやる気持ちも強く、その心がYちゃんの発見につながったのではないか」産経ニュースより