オモタン~思いやり探究~

思いやりの考察、体験談、エピソードなどを公開

スーパーボランティア尾畠春夫さんから学ぶ考え方②

引き続き第2弾です。
今回は尾畠さんの根幹となる所の人生について詳しく見て行きます。

■どんな人生を歩んできたの?

<小学生の頃>
小学生5年生のとき、母親が亡くなった事や父親がヤケ酒に走ってしまった事が
きっかけで、貧しくなり農家に奉公に出た。

奉公に出た理由は家が貧しくて、それを助ける為だった。
その時は「なぜ兄弟のなかで俺だけが・・・」と父親を恨んだ。

奉公に出た後は、毎日草刈りなどをされ、学校には行きたくても行けなかった。

しかし、「奉公に出た以上は腹をくくるしかない。世の中はなるようしかない」と考え
「やるだけやってやろうじゃないか」と心を入れ替えた。

その後は奉公に出された家のおやっさんとおねえさん(ご主人の事)を親だと思って
何でも言うことを聞いた。

すべては飯を食っていくためだった。

やがて、恨みの対象だった父が、いつしか感謝するようになった。
その理由は奉公の経験が今の宝になっているから。
この時に「後ろ向きで得することはない。だから自分はプラス思考という言葉が大好き」という思考に至った。

<中学生卒業後>(昭和30年と言っていたので大体15歳頃だと推定)
姉に「働きに出たい」と相談すると「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」と言われ
それに従った。

SL汽車で別府駅に向かう時に父親から片道代だけ貰い、帰る選択肢がなかった。

別府の魚屋で3年間の修行、
山口県関市の魚屋で3年間ふぐの勉強をされた。
兵庫神戸市の魚屋で魚の切り方やコミュニケーション術を4年学んだ。
その後、魚屋を開業するつもりでいたが魚屋の給料は安かったことから貯金はゼロに近かった。

そこで開業資金を用意する為に東京の大田区あった鳶と土木の会社へ行き
「俺には夢があります。3年間働かせてください。その代わり、絶対『NO』と言いません。どんな仕事をやります」
と直談判しにいった。

会社を辞めるとき「このまま残って頭(かしら)になれ」と熱心に誘われたが、
決めたことは必ず実行するという信条の元、断った。

そして、大分に戻り、別府の修行時代に出会った女性と結婚された。

<魚屋開業後>
繁盛した時も閉店危機もあったが、奥様のポテトサラダ、コロッケ、きんぴらなどの惣菜販売で
危機を乗り越えたこともあった。 

商売は順調だったが「65歳になったらやりたいことをしよう」と考え65歳で閉店した。

息子には「魚屋を継いだ方がいいかな」と聞かれたが
「お前には継がせないよ」と怒った。
その理由は「自分の人生は自分で歩むべき」という信条から。

当時ヘビースモーカーだった事から
孫からは真剣な顔で「じいちゃん、タバコをやめろ」と言われた。
この時はうれしく思い、天の声だと思い、その場ですべて燃やした。


お客さんが魚を買ってくれ、温かい手を差し伸べてくれたからこそ、
今は息子と娘と孫5人がおり、息子は大学に行くこともできた。それに気付いた。

その頂いた恩をお返しするのは当たり前で、人の仁義との事。
どんな形で恩を返そうか考えたときに第二の人生ボランティア活動にささげようと決意された。

<ボランティア後>
東日本大震災の時、避難所のアリーナに1800人もの避難者がいたが、
ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。にも関わらず誰も文句を言わない光景を目の当たりにした。
その時に「こんな思いをしている人がいるんだ。酒なんか食らっている場合ではない」と思い、酒を飲まないようになった。

大分の自宅にいるときは毎日8kmほどジョギングをしており、
40歳の頃から「オオバコ、ドクダミヨモギタンポポ、桑の実」等を集め、
茹でて、酢醬油で食べるそう。

しかし、今は被災地に負担をかけないように
持ち運びに便利なパックご飯とインスタントラーメンを食べている。
また、パックご飯はガス代を節約する目的でそのまま食べるそう。

ボランティア活動中は風呂もシャワーもしないそうです。
ただし、大分に帰った時は楽しみの一つとして温泉に入ってるそう。

★被災地での心がけ★
・自分が被災者であったらどう思うのかを考え、ボランティアをさせて頂いていると立場から「暑い」とは絶対言わない。

・身元がわかる方が安心すると考え、赤い服を着て、背中に名前を大きく書いている。
 
・黙ってると怖がらせると思い、安心感を持ってもらうためによく話すようにしている。


参考サイト
スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180824-00057170-gendaibiz-bus_all&p=4

酒も飲まず、貯金もゼロ…スーパーボランティア尾畠春夫さんの生き様
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180825-00057178-gendaibiz-bus_all

【分析と感想】
どんな言葉にも謙虚に受け止めて、人に寄り添いながら生きている所が素晴らしいです。
息子やお孫さんにも気を遣われている事から、ご家族も大切にされてきたんだろうなと思いました。

大きな考え方の起点になったのは奉公に出た時、
「奉公に出た以上は腹をくくるしかない。世の中はなるようしかない」といつまでも根に持たず
受け入れた事がいい方向へ進んだ影響が大きいんじゃないかなと思いました。

ここからは勝手な推測ですが、奉公先のご主人と良い人間関係を築いて、色々よくしてもらった事から
「父を恨んだ」事から「感謝」という気持ちに変わった事じゃないかなと思いました。


直談判の話の下りから、奉公先でも「NO」と言わず、何でも受け入れてやってきたのかなと思いました。

大切な事は、「嫌だな」「理不尽だな」とかマイナス思考になりそうな時に、「よし、やってやるか!」といかに
腹をくくってやるかどうかなのかなとも思いました。

その発想の転換は素晴らしく、自分の見習いたい所です。

他人から見るとすごく苦労しているように見える経歴ですが、実際の本人を見ると明るくてそういう苦労は微塵も感じません。
そういった所も尾畠さんの魅力でもあり、学ぶべきところなんだなと思いました。