騒ぐ事の罪悪感から仲良くなれない①
小さい頃よく
静かにしなさい!!
と親に言われて育った事はありませんか?
私の場合はよく学校で「静かに!」というフレーズが多かった気がします。
そういう事が多かった事で
「騒ぐと周りの迷惑になるから騒がないようにしよう!」と自然と察するようになっていきました。
私は大人になってからもこの固定観念が結構あって、
純粋に居酒屋であっても騒ぐことができません。
しかし、周りの人たちはお酒を飲めばすごく饒舌になり、楽しく話したり、開放的になっていたりして「よく、こんなにさらけ出せるな~!!」
と感心した事があります。
案の定、その友人はお酒の場で別会社の人と仲良くなってました。
仲良くなったことをきっかけにその人がやってるボランティアに参加されたり、
新しい契約をとっていたようです。
「自分もいつかこんな風に誰とでもすぐ仲良くなれたら良いな・・」
とよく思ったものです。
でも「騒ぐ」=「心をオープンにする」ではないはず・・・
と心のどっかでひっかかっていて、自分はきっとあんな風になれないだろうなと思いました。
■静かながら仲良くなる方法
私は別の方法を模索しました。
「騒がず仲良くなるにはどうしたら良いのかな?」
そもそも、騒ぐから仲良くなるのではなくて
騒げるぐらい心をオープンにさせるきっかけがあったから仲良くなっていたんだ。
と思いました。
友人の行動を見ていると、まったく知らない人にも気軽にニコニコしながら声を掛けてました。
(そうか!きっとここがポイントだ!)
つまり、心に億劫さも臆病さもなくて
「きっとこいつは良い奴。話しても仲良くなれる」と心のどこかで確信している状態だったからこそ仲良くなれたんだ!
私も新宿とか行くと見知らぬ人に声を掛けられることがありますが、
基本的に無視します。
そうするとたいていの人は無表情ですぐに去って行きます。
でも、無視してもすごいニコニコして楽しそうに声をかけられると
ついついこっちもニコニコして心許してしまうかもしれません。
こういうのってなんていうんでしょうかね?
やっぱり、「お前は絶対良い奴だ!心許して話せる!」ってどっかで確信しているんでしょうか?
実際やってみましたが、初手の状態がハードルが高すぎて断念
「お前は絶対良い奴だ!心許して話せる!」っていう状態になる事が一番のハードルだという事に気づきました。
続く